原因があって結果ではない結果があって原因の法則
時間は過去から未来に流れている。
これは当たり前の話。
いや、これは西洋文化の影響があるらしい。
それ以前の東洋文化は時間は未来から過去に流れているという観念があったらしい。
時計の針が進む西洋文化では0分から5分に進む針の右廻りの流れだが、文字盤が動く形の時計を使用していた東洋では逆の左廻りに進む。
まさに一般的に用いられる時計廻りにっていうのが右回りが常識であるが、東洋では左回りだったのだろう。
私でいえば、家電や歌がいいなって思うのが人より早くその時に賛同得られないのだが、後にヒット商品になってしまうので、なんだかなあとは思うが、自分的には未来予知してるのかしらなんて妄想してしまうが、なんのことはない時間が未来から過去に流れているのなら、そしてその流れにのれたなら当たり前のことかもしれない。
未来をおきにいって今の行動をする、としたら私の今してる行動は未来の何の結果なのだろうか?
そぐわな という歌の歌詞にこの世界にそぐわない私がかぶってます!
もう この世界ではわたしは怪物 それがどうした 戻りたくて戻れないね って落ち込んでいるんだ わかってるさ もう この世界ではわたしは残物 それもどうした こんな世界 そぐわないから こんなわたし そぐわないから 「変わりたくて変わらないね」 って何も知らないな 勝手だな
↑そぐわな 歌詞抜粋
時間の話です究極は時の流れはないのですが、三次元なので時間と空間の影響は受けますね。
意図
縦の意図は空間、横の意図は時間